自意識過剰分泌
ブログが書けない。
いや、正確に言うならば書いた記事をアップすることができない。
さらにさらに正確に言うならば書いた記事を前にして2、3分唸った後、バックスペースキーを連打してしまう。
何故か。
全ては自意識ゆえである。
お前の文章なぞ誰も読んでいない。
お前の考えなぞ誰も知りたくない。
お前の趣味嗜好なぞ誰も興味がない。
と、こんな風に自分の中のマインドBが私の背後5センチの位置から耳元で囁くのだ。
そうなると、そうだよなぁ、別に面白くないよなぁ・・・・消しちゃえ。
に、なってしまうのだ。
肥大した自意識が意味のない格好をつけさせるのだ。
履き違えた道徳のように人畜無害に振舞い、路傍の石に頭を下げ、河川敷のペットボトルに愛想笑いを振りまくのだ。
ものづくりとは自己表現の最たるものだと常々思っている。
それがアクセだろうと文章だろうと料理だろうとなんだろうと自己から生み出されるものはすべてものづくりであると考えるが。
それらは全て己が内面をさらけ出す作業である。私という人間が何を考え、何を思い、その結果が外に吐き出されるのだ。
己の内面の塊である。
己を解放しなければならない作業である。
それなのに、たかだか己が自意識によって自分自身の行動が制限されることの馬鹿馬鹿しさよ。
「表現者」である以上それはあってはならないのだ。
前に誰かが「他人の作ったものに満足していたら自分で作る意味がなくなる」というような事を言っていてなるほど、と思ったものだ。
小さく縮こまってはいけない。
私は私が作りたいものを作り、言いたいことを言い、生きたいように生きるのだ。
という自分を省みるエントリーなんか書いちゃったりして。
てへぺろ。